自分史 幼少から中学生時代

平成5年 生まれる

1993年 
公務員の父親と専業主婦の母親
千葉県千葉市に生まれる

その後千葉市で育つ

病弱な子だったらしく、喘息、水ぼうそう。とにかく病気がち。

人見知りをしない子で、スーパーでレジを待っていると
すぐに後ろのおばちゃんと仲良くなって

キャンディーやチョコを買ってもらっていたらしい

4歳で補助輪なしの自転車に乗れて、自慢げに見せびらかすような
おちゃらけた子どもだった。

早すぎる人生の転機


5歳で母を亡くす。乳癌。
お通夜、お葬式の自分自身の記憶はなく、

父親が語る記憶が自分の記憶と混同している。

31歳で亡くなった母のお通夜、お葬式に来る同級生、

先輩後輩はやはりまだ若く
「同窓会」のような雰囲気になったことで
父は「人がひとりなくなっても、家族以外にとっては大したことではない」

と突き付けられ、人間不信になった。

また、「傷心につけこまれて戒名に高く払わされた」

ことと「まだあなたは若いのだから子どもは預けて再婚して自分の人生を生きなさい」

と僧侶に言われたこと

がショックで極度の宗教嫌いに

「俺もいつ死んでも大丈夫なように生きてくれよ」

と夜な夜な子守歌のように言い聞かせる父。


父方の祖父母の家で同居して生活をはじめたが
「あんな病弱な嫁と結婚するから

私たちは子育てをこんな年齢からやり直さなければ

いけなくなって迷惑だ」

と毎日言われる日々を過ごす。

自分自身は多動的な子どもで、

家にある童話全集を読んだり、

木登りをしたり、秘密基地をつくったり、

カードゲームをしたり、ポケモンをしたり、

とにかくせわしなく動き回っていた。

小学生に上がると、全く勉強ができなかったので、

進研ゼミを申し込んだはいいが、ため込んでしまっていた。
ある日から教育スイッチが入った父親に

毎日怒鳴られながら泣きながら勉強をしていた。

おかげで小学校2年生から卒業まではテストでは

ほとんど100点を取ることができた。

100点をとっても褒められたことはなかった。

そのかわりに「やりたいことは基本的にはやっていい」

という方針だったため

ピアノ、水泳もやらせてもらっていた。


小学生の間は身体能力が高く、目立つ存在だったことと、

口がまわるタイプだったからかなぜか男女問わずモテていた。

小学生高学年のころ、初恋があり、好きな子と一緒にいたくて空手と書道をはじめた。

けっこう単純な動機でピュアな自分もいた。


「好きです」と告白をしたら「ありがとう」と言われたので

「断られた」と思っていたのだけど、

25歳の時に再会して「私も好きだった」

と言われて複雑な気持ちだった笑

イジメ、イジメられ。自業自得の中学生時代


中学生になると、思ったより身体が成長せず、

スポーツでも周囲に抜かされるようになっていった。

生来の目立ちたがり屋から学級委員になったが、

サボりグセで迷惑をかけていた。

まったく自覚のないまま、

1人の男子に「ケシカスをぶつける」とか

「遊びに誘わないように仕向ける」などのいじめをしていた。
そして自分もいじめられる側になり、

悲しさやつらさを経験したことではじめて罪悪感を覚えた。

野球部に入っていたが、サボりグセがあったこととイジメられた時期が重なり、

キャッチボールの相手もいない状況をすごしたものの
家族に相談できなかったため、

不登校にはならず毎日学校で読書をするか寝て過ごしていた。

この時期までは「人と関わる時間」が多かったのだけど、

これ以降「1人の時間」を過ごすことが増えた。


読書は人生を忘れさせてくれた。
ハリーポッター、妖怪アパートの優雅な日常、

バッテリー、ザ漫才、ダレンシャン、火の鳥、

ブラックジャック、西尾維新シリーズ。

手当たり次第に図書室の本を読んでいた。

高校受験は学力不足と、学区を変えたくて私立のすこし離れた高校へ行くことに


小学生までを振り返る

小学生までを振り返ると

5歳で「母の死」という人生最大級のライフイベントを経験したため

極度の無感情で無関心な生活だった。

片親の家庭は犯罪率が高くなる傾向にあることもあり

家族からは、不良、非行を心配されていたが幸いにして

非行的行動に走ることはなかったが、

父に「普通にしてくれ」と言われ続けたことはとても苦しく、ゆえに思考を深めた。

「5歳で母親を亡くした人間が普通であるわけはない」と当時は思っていた。

大学で茶道とコーチングに出会って気づいたことは

「普通」とは幻想でしかないということ。

ミクロにはそれぞれの人にそれぞれの特別で特有な人生があり

マクロには「人間」である以上ある程度似ているということ。

特別さと凡庸さをどちらも等しく見つめることが

必要であると感じるようになりました

いじめに関して考えたことは

動物が狭いエリアに閉じ込められている都合上

派閥ができて、権力争いがあって、上下ができるのは

自然のシステムであるということ

これもミクロな視点で言えば

イジメられる人間にとっての解決策は、

上下関係をひっくり返すだけの力(暴力、権力)を手に入れるか

自分を受け入れてくれる別のコミュニティに移動するか

の2択しかないわけです

氣学のひとつの考え方である

「吉方転居のエネルギーは距離に比例する」

というのは

「現状の文化圏やコミュニティから脱出しなければ効果がない」

と言い換えることもできるわけです。

とはいえ、先祖因縁的な理由の現在的解釈としては

地域の地主や、政治家や、医者や

「親の地域社会への貢献度」によって

「子の権力」に投影されるため

「子どもがイジメられるのは親がよわいから」とも言えます。

この場合の「よわさ」とは「片親である」ということもそうで

「片親だからしつけができていない」

「片親だから勉強できない」

「片親だから生活がだらしない」

などの「片親だから」という理屈を打ち負かす「なにか」を持っていない

ということです。

擁護してくれる人(恩のある人、お世話になっている人)がいない

地域を変えて生活をする能力がない(仕事を自分で創れない)

などもそうです。

社会には「さまざまなつよさ」がありますが、

シンプルに言うと「つよくなる」しかないですね。

「じぶんだけのつよさ」をつくれると、生きやすくなるので、

ご縁があった方にはその人に合った方法でサポートしていきたいと思っています

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