自分史 地域おこし協力隊編 25歳から27歳まで 

茶人としてのキャリアの進め方に迷っていた25歳

お店を持つか、茶畑に関わるかの2択で

お店の選択肢は挫折。

茶畑に関わりたいと相談したところ

「茶産業の現状を見せてやる」と

お茶雑誌編集者さんに静岡の茶畑を案内してもらいました

マニュアルが運転できないとなにもできない

知り合いがいないとなにもできない

資金がないとなにもできない

体力がないとなにもできない

衰退産業である

結果

「人生を棒に振りたくないならやめておけ」

というアドバイスに心を折られて

断念することにしたのですが

いろいろな人と話す中で

静岡県のとある地域で

地域おこし協力隊を募集していたので見学に

地域の人や、紹介者と話が弾みそのまま応募

「魅力発信コーディネーター」という

仕事をゼロからつくるという枠に採用されました。

地域活性化のしごと

お茶会は本質的なメディアである

五感をつかってプレゼンテーションすることで魅力が伝わる

また、お茶会を通して自分たちの町の魅力を再発見する

という外への発信と内での交流を活動内容としました

2年半の任期で 報酬と経費を合わせて1000万円の予算があり

2年半、1000万円でなんとかしよう、と思っていました。

他地域の視察に行ったときに仲良くなったカレーの専門家を呼んで

スパイスカレーのつくり方と

チャイのつくり方の講座を企画したり

ママが集まる育児情報交換会でお茶を教えたり、カメラマンをしたり

老人ホームでお茶会をしたり

おじいちゃんおばあちゃん、おかあさんとこども、暇な学生があつまるカフェを蔵を活用して毎週やったり

茶人アーティストとして活動したり

陶芸をしたり

ほかの地域に町のことを広める活動をしにいったりしていました

お寺でのお茶パフォーマンスをしたことも

大学生のころに学んだ

イベント企画→チーム運営→集客→開催

の力と、お茶でなんでもするというスタイルで、

とにかく精力的に人とかかわり、イベントをしていました。

Twitter運用や、ブログ運用も。

地域おこし協力隊として任期が終わってからも地域に残るようなことをしてほしい

と役場から言われたことで

民家の活用に取り組んでいくことになりました

民家の活用、リノベーション、シェアハウスプロジェクト

民家の活用にあたっては

「茶人として、民家を通して現代の茶室建築について考える」と、

個人的なテーマにして取り組んでいきました

借りれる家を探すところから大変でしたが

家を見つけて

とにかく人を集めて

仲間の建築家さんに協力してもらって計画を立て

解体を進め

建築学生に来てもらって、プロジェクトをすすめました

建築学生が合宿をして、ボランティアの人たちも合わせると毎日10人は来てくれて

朝昼夜をご飯とお茶をつくりました。

この時に料理スキルが高まりました笑

新聞も作って、ポスティングして宣伝したり

模型もしっかり作ってもらって

結局このプロジェクトは過労で私が扁桃腺が死ぬほど腫れて緊急入院したことで一時休止になり

コロナで人も集まりにくくなり

言えもシロアリに食われ過ぎていたことが後で発覚し、中止になりました。

大掛かりにやってしまったので、近隣住民への謝罪が大変でした

このあと、別の物件をぜひ使ってほしいというお話をいただき

シェアハウスにすることができました。

緑茶とハーブのブレンドティー講座

シェアハウスリノベーションプロジェクトと同時に

認知の拡大を目的に

「静岡茶の明日を考える補助金」をとり

ハーブのプロを呼んで緑茶とハーブのブレンドティー講座を3か月ほどかけてやっていきました

けっこうハードな2年半を過ごしましたが

好きなこと、やりたいこと、求められていること、できることが

かなりの高レベルでバランスした理想的な期間でした。

とはいえ、茶人のキャリアをつくっていくためにこれ以上できることはない

と判断し

「職業的な茶人を辞める」という方向に舵を切ることを決断しました。

5年の挑戦、短かったと言えば短かったし、長かったと言えば長い期間でした

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